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ガブリエル・ユルバン・フォーレ
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- 2007/09/13(Thu) -
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フォーレについて
フォーレといえばレクイエムと言われるくらいレクイエムが有名なフォーレですが、 この人について少し語ってみたいと思います。 ●ガブリエル・ユルバン・フォーレ (1845〜1924) フランス人 ☆作品の特徴 甘美で官能的な旋律と宗教的な崇高さをあわせ持つ作風で、 ロマン派音楽と印象派的音楽の中間的な位置に属する。 ※ロマン派・・・ベートーヴェンなどのガチガチの形式ばった音楽から抜け出し、 人の感情を音楽に込め、さらに表現豊かになった音楽の形式、年代。 印象派・・・ロマン派までにはあまり使われなかった半音階や、調が無い曲が作られ 調性が崩壊し始める形式、年代。ドビュッシーなど。 ※調性・・・ハ長調やト短調などの曲を支配する調号のこと。 フォーレの青年時代は、リスト、ベルリオーズ、ブラームスらが全盛期の頃であった。 晩年は、調性が崩壊しはじめた頃である。 多調(一つの和音の中に二つの和音が存在する)、 微分音(半音よりさらに狭い音程のこと)、 十二音技法(1オクターブを半音で細かくちぎった12個の音を全て使うように組み合わせてメロディーを作る技法。気が狂いそうなメロディが完成する) による無調(調性がないこと)が提唱された。 ※この調性崩壊の先がけはワーグナーである。ワーグナーは半音を好んで用い、メロディーが宙に漂うような魅力的な不安定さを持つ。 フォーレはこの流れを推進する動きと、以前の型を残す動きの中間に位置する。 基本的にはロマン派時代で育てられた華やかで情緒溢れるメロディーを持ち、調性を持つ。 しかし時折、聴衆の予想を裏切るような形で調が無いような動きを見せることがある。 ☆フォーレについて フォーレは、フランス南部で教師をしていた父の元に一女五男の末っ子として生まれた。 一家にそれまで音楽家になったものはいなかったが、幼い頃から教会のリード・オルガンに触れるうちに天性の楽才を見出される。 フォーレはパリの宗教音楽学校で音楽の勉強をし、1861年に教師としてやってきたサン=サーンスにピアノと作曲を教わった。 歌曲でも『夢のあとに』、『イスファハーンの薔薇』、『祈り』、『月の光』、20篇のうち9篇を選んで作曲した『優しい歌』などかなりの数の歌曲を残している。フォーレの多数の作曲により、それまで地位の低かったフランス歌曲はドイツ歌曲と肩を並べるほど認められるようになった。 ※それまでは、歌といえばドイツという風潮が強かった。 晩年には、難聴に加えて高い音がより低く、低い音がより高く聞こえるという症状に悩まされながら作曲をつづけた。ピアノ五重奏曲第1番以降の作品は、難聴が進みほとんど聴こえなくなってからのもので、次第により簡潔で厳しい作風へと向かっていった。 肺炎のためパリで死去。マドレーヌ教会で『レクイエム』の演奏されるなか国葬が行われ、パリのパッシー墓地に葬られた。 ちなみに、個人的に最近触れることの多い、フォーレのファンタジーは1898年に作曲された。フォーレが53歳の頃である。 晩年に入りはじめた頃で、作曲した5年後ほどに難聴が進行していく。 |
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